アメリカ現地時間2月1日に開催された第68回グラミー賞授賞式は、受賞結果の華やかさ以上に音楽がどのように世界と関わっているのかを浮かび上がらせたセレモニーだった。本稿では、この授賞式を4つの視点から読み解いていく。価値観の拡張を示した受賞のゆくえ、社会的現実に向けて発せられたアーティストの言葉、過去から現在へと音楽をつなぐ追悼のステージ、そしてグローバルな主流として存在感を放ったK-POP。それぞれの断面が重なり合って、音楽が文化であり、記憶であり、同時代の声であることを鮮明に示していた。
1) 主要4部門が映した音楽の現在
第68回グラミー賞の主要4部門の受賞結果は、音楽史における新たな地平を示すものだった。最大の話題のひとつは、バッド・バニーの最新作『Debi Tirar Mas Fotos』が最優秀アルバム賞に輝いたことだ。全編スペイン語で構成されたこのアルバムは、グラミー最高賞としては史上初のスペイン語作品という歴史的快挙であり、英語中心だった音楽評価の価値観が大きく拡大したことを象徴している。
アルバム自体は、プエルトリコの伝統音楽と現代的な都市音楽を融合させた野心的な内容で、サルサ、プエナ、ボレロ、レゲトンといった多様なリズムを基盤に据えつつ、シンセポップやムシカウルバナ(ラテンアーバン)を自在に行き来する。また、個人的なノスタルジーや故郷への愛情、社会的/政治的な問いかけを織り交ぜることで、単なるダンスミュージックを超える深みを獲得している作品として批評家からも高く評価された。アルバムタイトル「もっと写真を撮るべきだった」という言葉には、過去への後悔と未来への希望が同時に込められていると言えるだろう。
最優秀レコード賞を受賞したのは、ケンドリック・ラマーとSZAによる「luther」。この曲のトラックはルーサー・ヴァンドロスとシェリル・リンのデュエット「If This World Were Mine」をサンプリングしており、受賞スピーチではケンドリック自身がルーサーへの敬意を強調した。彼は「ルーサーは私のお気に入りアーティストの一人だ。彼らがサンプリングの許可をくれたことで、私たちはルーサーと同じくらい偉大な作品へと踏み込めた」と語り、その影響の大きさと歴史への敬礼を明確にした。この部門を2年連続で受賞したことによってケンドリックはジャンルを超えた表現力を評価されただけでなく、これまでのグラミー最多受賞ラッパーとしての記録も更新。ヒップホップの芸術性と影響力を示すことになった。
最優秀楽曲賞には、ビリー・アイリッシュが彼女の実兄フィニアスと共作した「Wildflower」が選ばれた。この曲は2024年のアルバム『Hit Me Hard and Soft』の収録曲で、辛い別れを経験した少女を支えて慰めていた語り手が、やがてその相手と元恋人が新たな関係を結ぶ現実に直面するという、ビリー自身の体験を下敷きにしている。歌詞は裏切りや怒りを直接的に描くのではなく、善意から始まった関係が思いもよらぬかたちで自分を傷つけていく過程を、淡々と、しかし痛みを残す筆致で描写する。その距離感のある語り口が、感情の複雑さとやり場のなさをより鮮明に浮かび上がらせている点が高く評価された。
ビリーはこの受賞によって同賞3度目の栄冠を手にし、個人的な体験を多くの人が共感できる感情へと描き替えるソングライターであることを改めて示した。彼女は昨年のグラミー賞でも同じアルバムから「Birds of a Feather」が最優秀楽曲賞にノミネートされており、親密な関係が生まれる瞬間と崩れていく過程を異なる視点から描き続けてきたそのソングライティングは、一過性のヒットではなく長く評価される表現力を持っていることをはっきりと示している。
最優秀新人賞を受賞したオリヴィア・ディーンは、イギリス出身のソウル/ポップシンガーとして、温かく包み込むような歌声と感情の輪郭を丁寧になぞる表現力が評価された。ヒット中の最新アルバム『The Art of Loving』では、恋愛、友情、自己肯定といったテーマを理想化や自己憐憫に傾くことなく描き出し、「愛すること」の難しさと誠実さを静かな視線で掘り下げている。派手な技巧や過剰なドラマ性に頼らず、日常の感情や内面の揺れをすくい取るその姿勢は、かつて同賞の受賞を契機にしてスターダムを駆け上がったアデルの系譜を自然に想起させる。新人賞という枠を超えた完成度を見せたこの受賞は、新しさとは派手さではなく感情を正確に伝える誠実さにあることを物語っている。
2) 抗議のスピーチが響いた夜――移民と尊厳をめぐって
今回のグラミー賞では受賞スピーチが単なる感謝の場を超え、アメリカの移民政策に対する強い抗議のメッセージを発信する場になったことが大きな特徴だった。多数のアーティストがステージ上で政治的立場を明確にし、特に移民税関捜査局(ICE)への反対を強く打ち出した点が話題となった。
中でもバッド・バニーのスピーチは象徴的だった。彼は「最優秀ラテン・アーバン・アルバム賞」を受賞した際、冒頭で「ICEは出て行け」(ICE out)と声を上げ、会場から大きな歓声を受けた。さらに「我々は野蛮でも動物でも宇宙人でもない。私たちは人間であり、アメリカ人だ」と強調し、移民の人間性と尊厳を訴えた。この抗議の表現は、単なる政治的な批評を超えて、アメリカ社会における移民の存在を肯定する力強い宣言として受け止められた。
同じく受賞スピーチで強い抗議の色合いを見せたのが、ビリー・アイリッシュだ。彼女は最優秀楽曲賞を受賞した際に「盗まれた土地に不法な人間などいない」(No one is illegal on stolen land)と述べ、移民コミュニティへの連帯を表明。また「ICEなんて最低だ」とFワードを用いた強い言葉で批判し、抗議と行動の必要性を訴えた。彼女は受賞の喜びだけでなく、現状の厳しい移民政策に対して声を上げ続けることの重要性を強調した。
また、オリヴィア・ディーンは最優秀新人賞を受賞した際、自身のルーツに言及しつつ移民にまつわる思いを語った。彼女は「私は移民の孫としてここに立っている。私は勇気の産物であり、そうした人々は称えられるべきだ」と述べて感謝を届けた。特に移民コミュニティの勇気と貢献を称える言葉は、授賞式全体のメッセージと呼応するものとなり、個人的体験から社会的なテーマへとつながる発言として注目された。
このように、今年のグラミー賞では単に音楽的業績を称えるだけでなく、アーティスト自身が移民や社会の不正義に対して立場を表明する場としてスピーチが使われたことが大きな特徴だった。ICEへの抗議や移民の尊厳を訴える声は会場全体に響き、音楽賞が社会とどう関わるかを改めて問いかける機会となった。
3) 追悼パフォーマンスに刻まれた音楽の系譜
今回の授賞式は華やかな受賞結果と並んで、追悼パフォーマンスがセレモニー全体の感情の核を形作った一夜だった。とりわけディアンジェロ、ロバータ・フラック、オジー・オズボーンに捧げられたステージは、実際に披露された楽曲そのものがそれぞれの音楽的遺産を現在へと呼び戻す役割を果たしていた。
ローリン・ヒルを中心にしたディアンジェロとロバータ・フラックの追悼パフォーマンスは、単なる一連のカバーではなく、二人の音楽的影響の豊かなレガシーを具体的な楽曲で辿る構成だった。冒頭でローリンはディアンジェロとの共演曲「Nothing Even Matters」を歌い上げ、彼との関係性とそのサウンドへの敬愛を音として開いた。その後、ラッキー・デイが「Brown Sugar」、ラファエル・サディークとアンソニー・ハミルトンが「Lady」、レオン・トーマスが「Devil’s Pie」、ビラルが「Untitled (How Does It Feel)」、ジョン・バティステが「Africa」を披露するなど、多彩なアーティストが各楽曲の色を際立たせたことで、ネオソウルの革新性とディアンジェロの影響の多層性が立体的に表現された。
続くロバータ・フラックのパートでも、ローリンは「The First Time Ever I Saw Your Face」を歌唱し、ロバータの歌唱表現の繊細さと豊かな抒情性を受け継ぐ空間をつくった。レオン・ブリッジズやアレクシア・ジェイが参加した「Compared to What」、レイラ・ハザウェイとオクトーバー・ロンドンによる「The Closer I Get to You」、そしてジョン・レジェンドとチャカ・カーンがソウルフルに歌い上げた「Where Is the Love」といった曲が展開され、ロバータのレパートリーの多様さが浮かび上がった。パフォーマンスのクライマックスではローリンとワイクリフ・ジョンが舞台に並び、かつて二人がフュージーズとしてリメイクした「Killing Me Softly With His Song」を披露。フュージーズとしての歴史とロバータの影響を同時に結びつける象徴的な瞬間となり、会場は大きなスタンディングオベーションに包まれた。
同じく強い存在感を放ったのが、オジー・オズボーンに捧げられたトリビュートパフォーマンスだ。静かな回想ではなく、音の圧力そのもので彼の遺した衝動を提示する構成が選ばれた。ポスト・マローンをフロントに、ガンズ&ローゼズのスラッシュとダフ・マッケイガン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミスらが集結し、オジー在籍時のブラック・サバスの名曲「War Pigs」を轟音とともに演奏。重厚なリフと反戦のメッセージは、過去の名曲としてではなく、いまなお有効なロックの怒りと抵抗として鳴り響いた。その荒々しさは、オジーが体現してきたロックの精神が現在形で生き続けていることを、何より雄弁に物語っていた。
こうしたパフォーマンスが強く印象に残ったのは、それぞれの追悼が過去を振り返る行為に留まらず、実際の楽曲を通して「継承」を体感させた点にある。歌われた一曲一曲が亡きアーティストの存在を現在へと引き寄せ、次の世代へ手渡していく――その連なりこそが、今回のグラミー賞を象徴する最も深い感動だった。
4) 世界の真ん中に立ったK-POP
今回のグラミー賞におけるK-POP勢の活躍は、話題性や記録更新にとどまらず、グラミーという制度が定義してきた「ポップミュージックの中心」が確実に書き換えられたことを示していた。その転換点を象徴したのが、セレモニーのオープニングを担ったパフォーマンスと、K-POP関連作品として初の受賞という二つの出来事である。
セレモニーの幕開けを飾ったのは、BLACKPINKのロゼとブルーノ・マーズによる「APT.」のパフォーマンスだった。同曲は今回、最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス賞の3部門にノミネートされており、その事実自体がK-POP楽曲が英語圏ポップと同じ評価軸のもとで「その年を代表する音楽」として扱われていることを示している。グラミー賞のオープニングはある意味音楽シーンの現在地を提示する場だが、そこにK-POPアーティストが立ったことはこのジャンルがもはや周縁的な存在ではなく、主流を構成する一要素として機能していることを明確に印象づけた。
もう一つの歴史的瞬間がNetflix映画『KPOPガールズ!デーモン・ハンターズ』の主題歌、HUNTR/X「Golden」が最優秀視覚メディア楽曲賞を受賞したことだ。同作は公開後、音楽ファンのみならずアニメーションやポップカルチャー全体を巻き込み、K-POPを題材にした作品として社会現象的な広がりを見せた。「Golden」はその中心に位置する楽曲であり、単なる主題歌ではなく物語の核心を担う存在だった。歌詞に込められているのは、抑圧や分断を乗り越えて自らの声と存在を肯定していくメッセージであり、それは作品内のヒロイン像だけでなく、現代の若いリスナーたちの感情とも強く共鳴した。映像やキャラクター、物語と緊密に結びついたこの楽曲が評価されたことは、K-POPがもともと持っていた総合的な表現力が、社会的な感情や物語を共有するかたちで、より広く認識されるようになったことを示している。
ロゼのオープニングパフォーマンスがK-POPの現在進行形の主流性を示したとすれば、「Golden」の最優秀視覚メディア楽曲賞受賞はその文化的射程とメッセージ性の強度を可視化した出来事だった。今回のグラミー賞は、K-POPが「国境を越えた成功例」という段階を超え、グローバルポップと同時代の社会意識を結びつける基盤として正式に位置づけられた決定的な転換点だったと言えるだろう。