【洋楽で知る世界のいま】第9回:世界最大の音楽の祭典、第68回グラミー賞展望〜多様な音楽地図を映す重要な節目

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 第68回グラミー賞はポップミュージックからヒップホップ、K-POP、ラテン音楽まで、かつてないほど多様で接戦のラインナップが揃い、音楽産業の潮流が大きく変わりつつあることを象徴する回となった。世界的ヒットの多様化、SNSやショートフォームによるブレイク構造の変化、グローバルアーティストの存在感拡大など、時代性が凝縮されたラインナップは現代の音楽シーンそのものといえる。ここでは主要4部門でノミネートされたアーティストを中心にその見どころを読み解いていく。


 まもなくアメリカ現地時間2月1日に授賞式が開催される世界最大規模の音楽の祭典、第68回グラミー賞は、近年の音楽シーンがどのような方向に変化してきたのかを象徴的に示すイベントになるだろう。かつてグラミー賞はアメリカの音楽産業の中で英語のポップスやロックを中心に評価する伝統的な音楽賞として位置づけられていた。しかし、今回主要4部門(最優秀レコード賞、最優秀アルバム賞、最優秀楽曲賞、最優秀新人賞)にノミネートを果たしている主なアーティストの顔ぶれを見れば、その常識がすっかり過去のものになりつつあることがわかる。ケンドリック・ラマー、バッド・バニー、レディー・ガガ、サブリナ・カーペンター、そしてK-POP勢。彼らはそれぞれ異なる文化、言語、ジャンルの背景を持ち、違う音楽シーンから台頭してきた。にもかかわらず彼らが同じカテゴリー内で競い合っているという事実は、グラミー賞が従来よりも多様な音楽地図を映す場へと変化しつつあることを明らかにしている。


 この変化は当然、突然起きたものではない。背景には音楽を聴く環境、広がるスピード、評価の軸が過去十数年で大きく変わってきた経緯がある。その要因として真っ先に挙げられるのが、ストリーミングサービスや動画プラットフォームの普及。SpotifyやApple Music、YouTubeやTikTokが世界中に広まったことにより、これまで国や言語によって分断されていた音楽文化が一気に混ざり合った。日本に住むリスナーがスペインやアフリカの音楽をリアルタイムで楽しみ、アメリカのリスナーがK-POPを自然に受け入れ、ヨーロッパや中南米の音楽が世界中で同時にヒットする。こうした環境では英語で歌っているかどうかはもはや成功の条件ではなくなり、音楽として魅力があるかどうか、その一点が指標になってくる。グラミー賞もまた、この大きな流れに合わせざるを得なくなった。

 その意味で、今年のグラミー賞を理解する上で欠かせないのが昨年のNFLスーパーボウル・ハーフタイムショーのパフォーマンスが史上最高視聴率を記録したケンドリック・ラマーだ。ケンドリックは今回、アルバム『GNX』やSZAとのデュエットソング「luther」などで主要3部門を含む最多の9部門にノミネートされた。これは彼が単に現行屈指の人気アーティストだからというだけではなく、ヒップホップがアメリカ文化の高みへと完全に登りつめ、その価値がグラミー賞の評価基準にダイレクトに反映された結果と言える。ヒップホップは1970年代に誕生して以降、アメリカのユースカルチャーや黒人コミュニティの現実を表現する重要なジャンルとして広がってきたが、グラミー賞は長らくその意義を十分に評価してこなかった。主要部門ではロックやポップに比べて扱いが小さく、ヒップホップがどれほど売れようと主要部門の受賞には至らないことが多かった。ケンドリック自身も過去作で高い評価を受けながら、昨年の第67回まで主要部門での受賞が叶わなかった。


 今回の『GNX』においてケンドリックがこれまで積み重ねてきたヒップホップの表現力はさらに深化し、アメリカ社会の歴史的/政治的背景や個人的葛藤を鮮やかに描き出している。ピューリッツァー賞を受賞した語りの強度は音楽を超えて文学作品に匹敵すると言われるほどだが、SZAをフィーチャーした「luther」ではさらにヒップホップとR&Bが有機的に結びつき、アメリカの黒人文化が生み出してきた音楽の魅力を凝縮したような素晴らしい成果を導き出している。こうした作品が主要部門で複数のノミネーションを得たことは、グラミー賞の歴史においても非常に大きな意味を持つ。ドーチー「Anxiety」の主要2部門ノミネート、クリプスとタイラー・ザ・クリエイターの最優秀アルバム賞ノミネートも踏まえると、これは長年続いてきたヒップホップ軽視の傾向がいよいよ終わりを迎え、ヒップホップがアメリカ文化の正統な中心であるとグラミーが認め始めた決定的な出来事といえる。


 このケンドリックと共に重要なのが、バッド・バニーの存在だ。プエルトリコ出身のバッド・バニーはスペイン語で歌うラテン音楽のアーティストだが、アメリカのチャートでたびたび1位を取るほどの高い人気を誇り、世界で最もストリーミングされるアーティストのひとりとして知られている。彼の最新アルバム『Debi Tirar Mas Fotos』とヒットシングル「DTMF」が主要3部門にノミネートされている事実は、グラミー賞が英語中心の評価軸を大きく変え始めた証左だ。かつては英語で歌うことが世界で成功する必須条件とされていたが、バッド・バニーは自らの文化や言語をそのまま武器にし、2020年の『El Ultimo Tour Del Mundo』以降4作連続で全米アルバムチャートを制することで世界の頂点へと躍り出た。これはストリーミング時代を象徴する現象であり、アメリカ国内でもラテン系人口が増えたことでスペイン語の音楽がもはや世界のポップの一部になっていることを示している。実際、彼はアメリカ現地時間2月8日に行われるNFLスーパーボウル・ハーフタイムショーに出演することが決定。史上初の完全スペイン語のステージになると目されている。


 レディー・ガガは、こうした新時代の中でもポップの普遍性を体現し続けている。彼女はデビュー以来ポップミュージックの革新者として活動してきたが、近年はカントリーミュージックやジャズなど、より幅広い領域で高い評価を獲得してきた。そして最新アルバム『Mayhem』ではガガらしい劇場性やエッジの効いた表現に加え、現代の音楽シーンに合わせた新鮮さも取り入れている。グラミー賞は革新的すぎる作品や極端に実験的な作品を敬遠する傾向があり、伝統と革新のバランス感覚に優れた作品を好む。この点でガガは非常に相性が良く、今回堂々の主要3部門ノミネートを達成したことにも納得がいく。彼女はグラミー賞が長年重視してきた「歌唱力・表現力・完成度」というテーマに見事に応えながら、新しいスタイルにも挑戦し続ける稀有なアーティストといえる。


 昨年最優秀ポップボーカルアルバム賞など2部門を受賞したサブリナ・カーペンターは、近年のグラミー賞の中でも新しいジェネレーションの価値観が制度に入り込み始めた例として特筆しておきたい。ヒットシングル「Manchild」はSNS文化を反映したユーモアと率直さが特徴で、Z世代から熱烈な支持を受けている。収録アルバム『Man’s Best Friend』もポップとしての完成度と分かりやすさを両立しており、彼女の主要3部門へのノミネートは若いポップスターが正当に評価される時代の到来を示唆している。これまでグラミー賞は若者向けのポップスやアイドル的な音楽を過小評価しがちだったが、サブリナのノミネートはその傾向が変わりつつあることを示すものだ。


 そして、今年のグラミー賞のノミネーションで最も鮮烈だったのがK-POP勢の躍進だ。K-POPは映像や世界観づくりに長けていて、SNS時代の広がり方と非常に相性が良い。Netflixの最多試聴記録を塗り替えたアニメーション映画『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』の主題歌「Golden」は最優秀楽曲賞、BLACKPINKのRoseがブルーノ・マーズと組んだ「APT.」は主要2部門ノミネートの快挙を達成し、さらに韓国エンターテインメント企業のHYBEが送り出した多国籍ガールグループのKATSEYEは新人賞に名を連ねた。これはK-POPが単なるアジアのジャンルではなく、世界の主要ジャンルのひとつとして正式に認められたことを意味している。「Golden」のようなフィクション作品から生まれた楽曲の主要部門ノミネートも音楽と映像コンテンツの境界が消えつつある時代の趨勢を象徴しており、エンターテインメント全体の変化を反映している。


 こうして今年のグラミー賞を代表するアーティストを見渡すと、世界の音楽がもはやひとつの中心ではなく、複数の文化圏が同時に中心になる時代に突入したことがよくわかる。アメリカとイギリスが世界の音楽の真ん中に立っていた時代は終わり、アジア、ラテン、中東、アフリカ、ヨーロッパなど、多彩な文化が混ざり合って新しい音楽を生み出す時代が目前に迫りつつある。グラミー賞がその変化を受け止め、主要部門でバラエティに富んだアーティストを選ぶようになったことは、音楽の未来がさらに広がり多様化していくことを示す。第68回グラミー賞授賞式はその新しい時代の到来を告げるシンボリックなセレモニーであり、世界の音楽がどこへ向かっていくのかを考える上でも重要な節目となるだろう。

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