
教育現場を中心に、非認知能力の重要性が認識されるようになって久しいものの、「非認知能力を向上させる方法」は確立されておらず、産官学をあげての模索段階にあるのではないでしょうか。
インターネット上にも「子どもの挑戦を応援する」「失敗をとがめない」「幼少期から習い事に通わせる」などなど、非認知能力を向上させるためのノウハウが語られていますが、まだまだ具体的な方策は不足しているように思います。
そこで、本企画では非認知能力を伸ばす方策の一つとして「音楽」にフォーカスを当てます。お話をうかがったのは、東京藝術大学 音楽学部の教授であり、長年にわたって音楽が人間の身体や精神に影響を与えるメカニズムなどについて探求されてきた山下薫子さんです。
私たちが「音楽」を学ぶ意味とは、どのようなものなのでしょうか。そして、音楽に親しむことが子どもたちの非認知能力に与える影響とは——。
音楽学部教授(音楽教育)/音楽学部附属音楽高等学校校長
山下薫子
東京藝術大学音楽学部器楽科(ピアノ)卒業、同大学院音楽研究科(音楽教育)修士課程修了、同博士後期課程満期退学。
英国シェフィールド大学客員研究員、静岡大学教育学部助教授を経て、2006年4月より東京藝術大学音楽学部准教授、2014年4月より同教授。2020年より東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校校長も務める。
日本音楽教育学会正会員、日本ダルクローズ音楽教育学会会長。
主な編著書に『ジュニア楽典』、『新ジュニア音楽辞典』、『ON! 1』(以上、音楽之友社)など。
『小学校学習指導要領解説 音楽編』作成協力者(平成20年、平成29年)、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会芸術ワーキンググループ委員(平成27年~28年)、『季刊音楽鑑賞教育』編集委員、かながわ音楽コンクール・ユースピアノ部門審査委員長(2021年)などを歴任。
音楽は「よりよいものを追求すること」を教えてくれる
——義務教育には「音楽」という科目があり、基本的にはすべての人が音楽を学んだ経験があると思います。そもそも、私たちはなぜ音楽を学ぶのでしょうか。
学校で音楽を教えている先生方とお話をしていると、他教科の先生から同じ質問をされた経験を持つ人が多いんですよね。そして、その質問の裏に「音楽学習に時間を割く必要があるのか」というニュアンスを感じることがあるそうです。
音楽という科目の存在意義を言葉で説明するのは簡単なことではありません。実際、現場の先生方も、他教科の先生たちに説明してもなかなかわかってもらえないことがあるそうです。音楽教育を専門にしている私ですら、言葉に詰まってしまう質問ではあるのですが……。
まず、学習指導要領を紐解いてみると、音楽という教科の目標として挙げられているのは、以下のとおりです。
表現及び鑑賞の活動を通して、音楽的な見方・考え方を働かせ、生活や社会の中の音や音楽と豊かに関わる資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)曲想と音楽の構造などとの関わりについて理解するとともに、表したい音楽表現をするために必要な技能を身に付けるようにする。
(2) 音楽表現を工夫することや、音楽を味わって聴くことができるようにする。(3) 音楽活動の楽しさを体験することを通して、音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育むとともに、音楽に親しむ態度を養い、豊かな情操を培う。(参照:【音楽編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説)
簡単に言ってしまえば、「感性を働かせて、音楽について考えたり、音楽に関する様々な能力を身につけたりしながら、いろいろな音楽をもっと身近な存在にしていくこと」が、音楽を学ぶことの目的である、と。その通りだと思いますし、とても大事なことだと思います。
ただ、私なりにここに一つ付け足すとすれば、「『よりよいもの』を追求する態度を養うこと」が音楽という科目の存在意義なのではないかと思っています。

——「よりよいもの」を追求する態度を養う?
はい。他教科、たとえば算数や理科といった教科では、基本的に「正解」があるという前提で、その「正解」に至るための考え方や道筋を学ぶことになります。しかし音楽に唯一無二の「正解」というものはありません。もちろん、曲ごとに楽譜は存在しますが、その曲を「どう表現するか」は歌い手、あるいは弾き手に委ねられている部分が大きい。
つまり、常に「よりよく」その曲を表現するための方法を考えることが求められるわけですね。そして「よりよいもの」の追求には、際限がないんです。そこに、音楽という芸術教科を通してしか学べないことがあるのではないかと思っています。
音楽は「心」だけではなく、「身体」にも響く
——音楽は「『正解』を導き出すこと」ではなく、「『よりよいもの』を追求すること」の面白さを教えてくれるわけですね。
はい。それに、音楽に親しむことは身体感覚を磨くことにもつながっていて、これも国語や算数といった教科にはない特徴だと思っています。
先ほど、学習指導要領の目標に「情操」という言葉があったように、音楽は「心の教育」だとされることが多いのですが、私は「身体の教育」にもつながるものだと考えているんです。それは「歌の練習をすると、大きな声が出るようになる」といったことではなくて、身体的な感覚を磨き、広い意味での「身体知」の獲得に寄与してくれる、ということですね。
——どういうことでしょうか。
音楽は心に何らかの情動をもたらすと同時に、身体にも働きかけます。ごく単純化して言えば、陽気な音楽を聴くと自然に身体が動き出すとともに、「うきうきする」といった感情を受けとる、というようなことですね。
もう少し詳しく言えば、音楽には「緊張と弛緩」があります。これは、リズムや和音など、いろいろな要素によって引き起こされます。たとえば、テンションコード。これは、基本的な三和音や四和音に9度、11度、13度などの音を加えたコード(和音)のことをいい、曲に複雑さや緊張感をもたらす効果があります。
このことを知った上で音楽を聴いていくと、「ここではドミナント9thが鳴っているから、緊張感がもたらされているんだな」と曲の構造を知的に、言い換えれば頭で理解することができますし、その理解は無意識のうちに感じとっていた「緊張と弛緩(解決)」という身体的な感覚と結びつくことになります。つまり、音楽を構成する和音やリズムに関する知識が——心が脳の働きによって生み出されるということを前提にすれば——心と身体を橋渡しするわけですね。

ただし「こういったリズムだと、身体がこう動く」「こんな和音が鳴ると、身体がこんな風に反応する」という身体知そのものは、頭で考えるよりも前に、知らず知らずのうちに身体のなかに積み重なっていきます。そして、そういった身体知が積み重なっていくと、他の分野にも応用できるようになる。
たとえば、言語の習得。言葉は音であり、そこにはリズムがありますよね。音楽を通して無意識のうちに得られる身体感覚、具体的に言えば、音楽の抑揚を感じとったり、緊張感をとらえたりする感覚は、言葉を音のまとまりとしてとらえたり、比喩の表現をしたりするときなど、言語習得にも役立っていると考えられています。
「技術」を学ぶだけでは、表現力は磨かれない
——音楽に親しむことと非認知能力の関係についてもお聞きしたいです。重要な非認知能力の一つとして、「表現力」が挙げられることがありますが、音楽に親しむことは表現力を向上させることに寄与するのではないかと思います。この点について、山下さんはどのように感じておられますか?
私は「表現力」を、「自らが見つけたり、考えたり、思ったりしたことを、試行錯誤しながら他者に伝える力」だと思っています。ここで重要なのは「自らが見つけたり、考えたり、思ったりしたこと」。つまり、「自らの頭で思考し、『表現したい』と思うことを見つける力」もまた、表現力の一部だと考えています。いくら「伝える力」を磨いたとしても、そもそも「伝えたい」と思うことがなければ、その力は発揮できませんよね。ですから、表現力を伸ばすには、まず「『伝えたいこと』を見つける力」を育てなければいけないと思うんです。
——いくら「伝える力」があっても、「伝えたいこと」がなければ、その力は発揮できないですからね。
先ほども言ったように、音楽には楽譜という枠組みがあるとはいえ、それをどう表現するかは演奏する人の解釈に委ねられています。それに、ある曲とある曲を構成する要素が同じだとしても、それぞれの曲を適切に表現するための方法は変わるわけです。
たとえば、ワルツとサラバンドは同じく3拍子の舞曲ですが、ワルツが比較的速いテンポであるのに対し、サラバンドはゆったりとしたテンポですし、踊り方や重心のかけ方も違います。あるいは、同じ短調でも聴く人に切ない気持ちを抱かせる曲もあれば、明るいイメージの曲もあるわけです。曲の背後にある文化や歴史を理解して初めて、その曲をどう表現すべきかが見えてくる。
大事なのは、楽譜を見て「なぜ、ここはこういった展開になっているのか」「ここのメロディは、あの作曲家のあの曲を引用しているのかもしれない」などと、自らの頭で考えたり、調べたりしながら、その楽曲の背景にあるものを見つけること。
そういった意味で、私は楽譜とは「宝探しの地図」のようなものだと思っています。楽譜の裏にあるものを踏まえて歌唱、あるいは演奏するのが「表現」だと私は考えているんです。楽譜を単に音にするだけならば、機械でもできますからね。

——音楽をするということは、単に歌唱法や演奏法といった表現のための技術を磨くだけではなく、「何を表現するか」を見つけるための、言い換えれば「表現したい」と思うことを見つけるためのトレーニングにもなる。
そうですね。音楽教育を学ぶ学生の中には、「ベルカント(イタリアの伝統的な歌唱法。主にオペラ歌手が使用する)で歌えるように指導するんだ」と意気込んで教育実習に向かう人もいます。でも、「ベルカントとは何か」や「なぜ、ベルカントを身につける必要があるのか」といったことを理解しないまま、ベルカントを教えられたとしても、子どもたちも面白いと思えないでしょうし、その必要も感じられないと思います。
その技術を「身につけたい」と思うからこそ、違う言い方をすれば「その技術を使って表現したいこと」があるからこそ、技術を身につける意味が生じるわけです。「表現力」を身につけることに関して言えば、音楽に限らずそこが逆転してしまっていることがあるのではないかと思っています。
音楽が「自分をコントロールする力」を育む?
——表現力の他に、音楽を学ぶことによって身につく非認知能力があるとすれば、それはどのようなものでしょうか。
「他者と協調する力」は、その一つでしょう。
音楽のジャンルとして「労働歌」、あるいは「作業歌」というものがあります。これはその名の通り、仕事をするときに歌われていた歌で、たとえば「ソーラン節」もその一つですね。現在では、「YOSAKOIソーラン」のイメージが強いと思いますが、元々は北海道の民謡で、ニシン漁をする漁師たちが網起こしや陸揚げの際に歌っていた作業歌なんです。全員で声を合わせることで、作業のタイミングや力を合わせるなど、円滑に労働を進めることを目的に歌われていました。
つまり、音楽を仲立ちさせることで、周囲の人たちと息を合わせて作業を進められるようにしていたわけです。このことからも、音楽を通して他者の声を聴きながら、自らの声や行動をそれに合わせるという行為は、他者と協調する力を育てることに一役買っていたと言えると思います。
——発達心理学や感情心理学を専門する遠藤利彦さんがインタビューの中で、非認知能力の一つとして「他者とうまくやっていくための力」を挙げていましたが、音楽はこの力を伸ばすことにつながると。
あとは、「他者から自分や自分の行為がどのように見られているか」を把握する力、言い換えれば、メタ認知能力を向上させる効果も期待できるのではないでしょうか。というのも、演奏を通して何らかの表情やイメージを伝えるためには、正確に「他者がどのように感じとっているか」を理解しなければなりません。「自分はこういうことを伝えたいと思っていたけど、他者にはまったく伝わっていなかった」では、適切な演奏とは言えませんからね。
演奏を通して「自分が表現しようとしたこと」と「他者への伝わり方」の差を正確に把握しながら、表現を調整することが求められますし、その調整を繰り返すことは、物事を客観視したり、自らの考え方をメタ的に認知したりする能力を育てることにつながるはずです。
あとは、音楽が脳の特定部位を成長させることもわかっています。たとえば、一定の訓練を積んだピアニストの脳は、両手指の運動を司る脳の部位が大きくなっていたり、バイオリニストであれば、特に左手指の運動を司る部位が大きくなっていたりする。さらに言えば、最近の研究では、音楽を聴いたり、演奏をしたりすることで、自らの感情をコントロールする部位、すなわち前頭葉が活性化することも指摘されています。

——「自らの感情をコントロールする力」は、重要な非認知能力の一つとされていますが、音楽に触れることによって、その力が育つ?
まだ解明されていない部分もありますし、断定的なことは言えませんが、その可能性はあるのではないでしょうか。ただ、そうすると「日常的に音楽に触れているすべての音楽家は、自制心に溢れている」ということになりますが、歴史に目を向けても必ずしもそうとは言えません。「奇人」、あるいは「激情家」と呼ばれる音楽家はいくらでもいますからね(笑)。このことも含め、音楽と脳の関係については、今後さらに研究が進むことを期待したいですね。
ただ「音楽に親しむ」だけではなく、音楽を通じたコミュニケーションを
——音楽を子どもたちの非認知能力の育成に活用する際のポイントや、忘れてはならない視点があれば教えてください。
大前提として、音楽とは「究極の遊び」です。繰り返しにはなりますが、楽譜というベースはあれど、表現にも聴き方にも正解はありません。ですから、一人ひとりの子どもの感性を否定することなく、「音楽に向き合っている時間」そのものを尊重してもらいたいと思います。
音楽に向き合っている時間とはすなわち、「自分自身に向き合う時間」です。じっくりと音楽に向き合うなかで、子どもたちは意識と無意識を行き来しながら、「こんな音楽を聴くと、こんな気持ちになるんだな」といったことを自由に感じているはず。そのことが、これまで述べてきたような学びの源泉になるはずなので。
あとは、音楽を通したコミュニケーションを大切にしてもらいたいと思っています。たとえば、家庭でただ音楽を流しておくだけでも、情操教育の面で一定の効果は得られるかもしれません。でも、先ほど言ったように、重要なのは身体感覚を伴った音楽体験です。
もちろん小さいお子さんでも、誰が教えずとも音楽に触れるなかで自然と身体を動かすこともありますが、はじめは親御さんが歌ったり、踊ったりしながら、心身ともに一体となって音楽を楽しむことが、身体感覚を耕すことにつながると思っています。
——共に歌い、踊ることが子どもたちのさまざまな感覚や力を伸ばすことにつながる。
そういった意味では、アンサンブルをすることも大切にしてもらいたいですね。
歌うにせよ、楽器を演奏するにせよ、沈黙の中で音を出すことって緊張するじゃないですか。「失敗してはいけない」という空気の中で歌ったり演奏したりするのは、端的に言って楽しくないと思うんです。
仮に自分が間違ったとしても、音楽の流れは止まらないという環境下で音楽を奏でることは、安心感をもたらしますし、楽しみながら音楽に浸れるはず。ですから、学校で音楽を教える場面でも、家庭で音楽に触れる場合でも、アンサンブルを中心に据えることによって、音楽の楽しさや喜びを、子どもたちに感じてもらえるのではないかと思っています。

Interview & Writing : Ryotaro Washio
Photograph : Megumi Suko